【墓場まで持っていく話題】日航機墜落から33年。事故なのか。テロなのか。陰謀なのか。

【社会】日航機墜落から33年、今も向き合う生と死。元遺族対応係

「日航ジャンボ機墜落事故 33年」の画像検索結果
11日 灯籠流し、東日本大震災遺族が初参加

 

1: 記憶たどり。 ★

https://mainichi.jp/articles/20180810/k00/00e/040/268000c

520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故は12日で33年を迎える。
当時、日航社員として遺族の世話係だった錦織葆(にしごり・ほう)さん(79)は、
事故をきっかけに「人の生と死」について学び、ホスピスのボランティアをしてきた。
定年退職し、喜寿を過ぎた今もホスピス病棟で命と向き合っている。

33年前の8月、錦織さんは、事故で犠牲となった関西地方の30歳の男性の遺族対応のため、
遺体安置所が置かれた群馬県藤岡市にいた。「どんな言葉をかけられてもよい」。
そう覚悟を決めていたが、男性の母親と兄は落ち着いた様子で事実を淡々と受け入れているように見えた。

だが数日後、男性の身元確認のために遺体安置所へ向かうタクシーの車中。「悔しい」。
男性の母親が漏らした一言が忘れられない。それまで取り乱すことも、何の不満をぶつけることもなかったが、
一瞬だけ感情をあらわにした瞬間だった。

その後、新聞などで、事故の遺族らが、海外の女子学生のために奨学金を創設したり、事故の体験談をまとめた本を
出版したりする姿を見聞きし、感銘を受けた。「大きな悲しみの中、立ち直り、社会に貢献されているご遺族がいる。
私にも何かできることがあるのではないか」

事故から3年後の88年にホスピスのボランティア養成講座を受講し、90年からホスピス病棟で食事の配膳や
マッサージなどのボランティアを始めた。定年退職後は大学院で死生学を学んだ。今は週に1度、自宅近くの
日本赤十字社医療センター(東京都渋谷区)で末期がんの患者やその家族に寄り添う。

墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)には何度も登っているが、多くの遺族が慰霊登山する
事故当日の8月12日に登ったことはない。「われわれは加害企業側ですから、ご遺族と一緒というわけにはいきません」。
その代わり、自宅近くにある犠牲者の一人、歌手の坂本九さんの墓前で、犠牲者全員の冥福を祈ってきた。
今年もそっと手を合わせるつもりだ。

【ことば】日航ジャンボ機墜落事故

1985年8月12日夕、乗員・乗客524人を乗せた羽田発大阪行きの日本航空123便が、群馬県上野村の山中に墜落。
520人が死亡し、4人が重傷を負った。単独機の事故では航空史上最悪の死者数。運輸省航空事故調査委員会(当時)は、
ボーイング社の修理ミスで機体後部の圧力隔壁が破壊されたことが原因と結論づけた。

454: 名無しさん@1周年
>>1
アルピニストの野口健さんがヒで
当時の日本航空の経営陣の御巣鷹に対する軽口の事を言及してたね
名前は出してなかったけど遺族や事件に向き合ってる日航の社員なんて
ほんの一握りにさえ満たないと思うよ

 

463: 名無しさん@1周年

>>454

御巣鷹の日航機事故から今日で25年。数年前の出来事。
当時の日航経営陣の一人が私に「野口さん我々も山の清掃していますよ」と。
そして「ええ、御巣鷹でね。あっ、あれはゴミじゃなかった。アハハ」と確かに彼は笑いながそう言った。
私はそれ以来、可能な限り日航機には乗らないようにしている
https://twitter.com/kennoguchi0821/status/20931397162
これか、ひどいな

 

348: 名無しさん@1周年
>>10
なかったから沈まぬ太陽が書かれたんじゃないのかね

 

13: 名無しさん@1周年
交通事故みたいなもんだろ
たいがい忘れろ

 

266: 名無しさん@1周年
>>13
それ言っちゃったら終わりwww
まぁぶっちゃけそうなんだけど

 

275: 名無しさん@1周年

>>13
この事故の結果、損壊の激しい多数遺体の身元判別にデンタルチャートの
活用が極めて有効であることがわかって、各県で警察と県の歯科医師会との間での
協力関係が一気に進んだ。

その結果が阪神淡路、さらには東日本大震災での遺体の身元の迅速な判別に
繋がっている。忘れりゃいいってもんじゃないんだよ。
多くの方の尊い犠牲の上で様々な教訓が生まれ、実際今の社会に役立ってるの。

 

18: 名無しさん@1周年
原因はボーイングのいい加減な修理。
そして何も抗議しないヘタレ日本。
遺族は悔やんでも悔やみきれない。

 

19: 名無しさん@1周年
まだ事故だと思ってる人いるんだな

 

22: 名無しさん@1周年
>>19
まだ陰謀とか言う奴もいるよな

 

23: 名無しさん@1周年
>>22
本当のことは知らないほうがいいと
中曽根が墓場まで持っていくらしいですw

 

44: 名無しさん@1周年
>>23
逆にまだ中曽根が死んでないから真相が漏れてないだけだよ。

 

21: 名無しさん@1周年
整備不良はメーカーの責任なのか?
ずっとJALのせいだと思ってた

 

48: 名無しさん@1周年

>>21
ボ社は尻餅事故後の与圧隔壁の修理が何らかの理由で不適切な手法で行われたと
認めている、ただそれが何故その手法で行われたかは積極的に解明されなかった
そのため同様の手法で修理され放置されたままだった旅客機が2000年代初頭に
空中分解を起こした、中華航空の台湾―香港便だったか

おそらくその解明されなかった事情を中曽根が知ってるんじゃないか
何しろ影響が全世界規模に及ぶ話なので機体固有の事象に矮小化しようとしたのでは
陰謀とかではないと思う
てか森永…そんな人間だったのか

 

53: 名無しさん@1周年
>>48
そうなんだ

 

61: 名無しさん@1周年

>>53
だからこれ、最近ののぞみ台車破断寸前のインシデントと事例が似てるんだよ
航空機と鉄道車両で違うとはいえ、ボ社の何らかの理由による不適切修理と
川崎重工の何らかの理由による社内基準に沿わない台車の過剰研削と
何らかの理由はともに未だ解明されてない

日航がなぜ当時気付かなかったかというと労組分断を行っている最中で
そこまで手がまわらなかった、それとボ社への過剰な信頼感があったせいらしい

 

25: 名無しさん@1周年
日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎)
http://maga9.jp/morinaga170830/
なぜ自衛隊ファントムが日航ジャンボを追尾したのか
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-fa55.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f3cb0ceedb6ea79f0a5e4b886d5d3f73)

 

34: 名無しさん@1周年
>>25
ワラタ
証拠隠滅の為に自衛隊が火炎放射器で焼き払ったら
生存者がおる筈ないじゃんw
卓郎はオカルトなんだね
もう少しマトモな人かと思ってた

 

304: 名無しさん@1周年
>>25
いくら森永が頭のおかしいキチガイ野郎でも
自衛隊が生存者を火炎放射器で焼き殺したとか
デマで済ませていいレベルの妄言じゃない

 

371: 名無しさん@1周年
>>304
自衛隊同士が交戦中って不思議なニューステロップ見たぞ

 

373: 名無しさん@1周年
>>371
ふぇ~
マジで??

 

383: キツネのレックス

>>373
自衛隊と警察官の間で発砲事件があったってNHKがテロップ速報出したんだよ

なぜかこの時期になると群馬県警内の引き締めが入る

 

393: 名無しさん@1周年
>>383
引き締めとは?
緘口令みたいな?

 

406: キツネのレックス
>>393
テレビで見る限り
事故を忘れずにというか、教訓として
残そうという態度が異常に強く見てとれる

 

398: 名無しさん@1周年
>>383
マジかよ
ぜんぜん報道されてないな
隠したのか

 

407: 名無しさん@1周年
>>398
だってガセだもの
ここ数年くらいになってから突然流行りだした

 

413: キツネのレックス
>>398
誤報でしたってNHKが謝罪して
終結

 

40: 名無しさん@1周年

予め断っておくと、123便の墜落事故に関しては、これまでもあらゆる陰謀説が唱えられてきた。
しかし、青山氏の今回の指摘は、そうした根拠不明の陰謀説とは一線を画すものだ。
青山氏は、東京大学の大学院を出て、博士の学位も取っている。東大を出ているから正しいのではない。
博士論文は厳密な審査が行われる。そのため論文には明確な根拠が求められ憶測で書くことは許されないのだ。

論文でまず注目すべきことは、墜落直前の123便を2機の自衛隊のファントム機が追尾していたという
複数の目撃証言だ。自衛隊は公式に機体を発見したとされる翌朝まで、一体何をしていたのだろうか。
記載された証言によると、現場にはガソリンとタールをまぜたような強い異臭がしていたそうだ。
また、現場の遺体は、通常の事故では、あり得ないほど完全に炭化していたという。
自衛隊を含む軍隊が使う火炎発射機は、ガソリンとタールを混合したゲル状燃料を使用している。
つまり、墜落から翌朝までの間に、何者が証拠隠滅のために強力な燃料で焼き尽くしたのではないかということだ。

 

49: 名無しさん@1周年
墜落事故の翌日に相模湾(平塚市の沖合い)を自衛隊のヘリコプターが旋回していたのを当時オレは平塚市の海岸で見ていた。
墜落した現場から相当離れているはずなのになぁ?と
不思議に思って見てたよ。

 

59: 名無しさん@1周年

>>49
相模湾の海底で日航機の残骸発見
https://www.youtube.com/watch?v=wuN7yj1_ypU

情報公開請求で判明した場所を捜索したら、アッサリと残骸が見つかった
ってことは、政府側が残骸の場所を知っていたのにも関わらず調べていな
かったということ・・・

 

222: 名無しさん@1周年

元早稲田大学教授植草一秀メルマガ・第2100号 日航ジャンボ機123便墜落事故の真実2018年9月31日(一部抜粋 無断コピペ)

①今年もあの日がやってくる。

1985年8月12日、羽田空港1800発大阪伊丹空港行き日本航空123便が18時56分に、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。

乗員乗客524名のうち520名が死亡した。

生存者(負傷者)は4名だった。

夕刻の便であり、お盆の帰省ラッシュとも重なっていた。

死者数は、墜落事故および単独機の航空事故で世界最多となった。

1987年6月19日に航空事故調査委員会は、同機が1978年6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後のボーイング社修理が不適切であったために圧力隔壁が破損したことが事故原因であるとの報告書を公表した。

しかし、この報告は信用できない。

123便は外部からの衝撃で尾翼を失い、これが原因で操縦不能に陥った疑いが強い。

また、123便は横田基地に緊急着陸を検討した模様だが、着陸を断念したか、何らかの誘導により進路を山岳地帯に変更したうえで山岳地帯で墜落した可能性が高いと思われる。

それでも、123便墜落時には多数の乗客が生存していたと見られ、墜落直後に米軍機によって墜落場所が特定され、夜間の救助活動が可能であったはずだが、救助は行われなかった。

 

224: 名無しさん@1周年


事故あるいは事件から33年が経過するいま、私たちは「知られざる真実」の解明を行う責務を負っている。

『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』
(河出書房新社・最新刊)

「日本航空123便墜落事故を検証する」

「日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)」

などの情報を総合すると、1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機123便墜落事件の全体像がかなりはっきりと浮かび上がってくる。

元日航客室乗務員の青山透子氏が昨年、真相に迫る著書を刊行された。

『日航123便墜落の新事実』

日航ジャンボ123便は8月12日18時12分に羽田を離陸。

離陸後順調に飛行を続け、18時24分に大島上空を通過し、相模湾上空に差し掛かっていたとき、大きな衝撃音がして機体に異常が発生した。

その模様を123便生存者で日本航空CAを務めていた落合由美氏が次のように証言している。

 

225: 名無しさん@1周年

②「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。

テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。

「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。

急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。

前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」

「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。

かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」

「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。

白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。

すっと消えた、という感じだったのです。」

「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。

しかし、何が起きたのだろうと、私は酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。

あとになって、8月14日に公表されたいわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からはベントホールは見えない位置にあります。

ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」

18時24分に衝撃があり、機体に異常が発生して、結局、18時56分、123便は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。

捜索隊が墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した13日午前8時半ころとされている。

救難活動が遅れて、乗員乗客524名のうち、520名が死亡したとされている。

上記落合氏の証言によると、

「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」

という状況であった。

つまり、多数の乗員、乗客が生存していたのである。

しかし、事故調査報告書は、「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」としており、この点でも調査報告書の信ぴょう性は極めて低いと言わざるを得ない。

 

226: 名無しさん@1周年

③上掲書を刊行した元日航客室乗務員の青山透子氏は2010年に刊行した著書

『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド、2010年4月刊)

で、事故当時に横田基地に配属されていた米空軍の輸送機U130のパイロット、マイケル・アントヌッチ中尉の証言を紹介している。

1995年8月27日付「星条旗新聞」=” Stars and Stripes”の記事である。

この証言を米田憲司氏の著書
『御巣鷹の謎を追う』(宝島SUGOI文庫)

から紹介する。

「当機は、陽が長くなった夏の夕日が沈みかけていたころ、機首を北北西に進路を取った。午後7時15分、航空機関士が1万フィート付近で雲の下に煙のようなものが見えるのを発見したので、ゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向けた。
御巣鷹山の周辺はとても起伏が多かった。地表からおよそ2000フィートまで降下する許可を得た。墜落機残骸を発見したのは、あたりはだんだんと暗くなり始めていた時だった。
山の斜面は大規模な森林火災となり、黒煙が上がり、空を覆っていた。時刻は7時20分だった。

当機の指揮官、ジョン・グリフィンは、墜落機残骸の上空2000フィートで旋回していた。私は地上との高度をモニターし、横田までの位置関係を確認した。事故現場から横田までの緯度、経度、方向と距離を連絡した。
墜落後、およそ20分で当局は墜落機残骸の位置をつかんでいたのだ。横田管制から、我々の現在地から約40マイルの厚木基地から、米海兵隊が救難に向かう準備をしてることを聞いた。1時間で到着できただろう。」

「当機は8時30分まで先回を続けた。そのとき、海兵隊のヘリコプターが救助に向かっているので方向を知りたがっている、といわれたので、墜落現場までの方位を教え、当機のレーダーで地上から空中までを探してみた。
8時50分までに救援ヘリのライトを視認できた。ヘリは偵察のため降下中だった。

午後9時5分に、煙と炎がひどくてとても着陸できないと海兵隊が連絡してきた。われわれに、司令部に連絡してくれと頼んできた。私が司令部に連絡を取った。

将校は「直ちに基地へ帰還せよ」「日本側が向かっている」といったので「司令部、海兵隊は救助続行をきぼうしている」といったが、「繰り返す。
即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様」と命令された。私は「了解。基地に帰還する」と応答した。」

C130は午後9時20分に、最初の日本の飛行機が現れたのを確認して現場を引き揚げた。

 

227: 名無しさん@1周年

④もう一つ重要な事実は、18時24分に大きな衝撃音が発生した直後に、コックピットから重大な言葉が発せられていることだ。

事故調査報告書に記載のあったボイスレコーダーの音声の解析結果が、2000年11月19日のフジテレビ番組「ザ・ノンフィクション『15年目の検証』」で紹介された。

番組では、記載された記載されたボイスレコーダーの「オールエンジン」というフレーズが、「ボディギア」ではないかとの分析結果を伝えたが、調査報告書もフジテレビ番組も、意図的に音声を誤記しているとしか考えられない。

音声はネット上に公開されている情報
「フジテレビ『ザ・ノンフィクション』」https://www.youtube.com/watch?v=7poQ8oyuBQM

の22分35秒以降の部分で確認できる。

衝撃音の直後に「スコーク77」が発せられ、その直後にフライトエンジニアが発した言葉は、何度確認しても

「オレンジエア」
であり、「オールエンジン」でも「ボディギア」でもない。

事故報告著もフジテレビ番組も、誰がどう聞いても「オレンジエア」としか聞こえないフレーズを、なぜ「オールエンジン」や「ボディギア」としているのか。

「オレンジエア」と表記することに、何か重大な支障があるとしか考えようがない。

この素朴な疑問に問題の本質が隠れている。

当該ジャンボ機123便に搭乗していた乗客の小川哲氏(当時41歳)が、
ジャンボ機に接近する謎の飛行物体に気がつき、それをカメラに収めていた。

写真は事故から5年後の事故から4年後の1990年10月14日に朝日新聞朝刊に掲載された。

上掲書著者の青山透子氏によると、この写真をパソコンで拡大するとオレンジ色になり、画像処理の専門家による写真の検証では、

「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見える」
という。

「オレンジエア」は航空自衛隊演習用兵器の呼称であると考えられ、日航ジャンボ機123便は、「オレンジエア」によって尾翼の大半を喪失。

操縦不能に陥り、最後は山中に墜落したとの疑惑が濃厚に存在している。

そして、自衛隊機ファントム2機が123便を追尾したとの有力な目撃証言もある。

もし、この仮説が真実であるとすれば、自衛隊および政府内部に真実を知る者が確実に存在するはずである。

「天網恢恢疎にして漏らさず」という。

私たちは必ずこの事故=事件の真相を明らかにしなければならない。(──以上──。無断コピペ)

 

274: 名無しさん@1周年
なぜ米軍の救助を断ったのか
中曽根は明かすべきなんだけど
墓まで持って行くと言ってるから無理だろうね

 

697: 名無しさん@1周年
>>274
救援どころか米軍と自衛隊がいち早く機体発見してるのに運輸省が横やり入れて警察、消防の救助すら遅らせてるわけだが。
結局生存者を搬送したのは自衛隊だったが。
米軍の陰謀よりお役所縦割りの方がよっぽど怖い。

 

704: 名無しさん@1周年

>>697
しかもヘリから降りた医者と看護師が生存者早く里に下ろして病院運べ言ってるのに自衛隊シカトしまくったんだよね
医者がキレてやっとヘリ搬送
生かしたくなかったのかと思ったよ

 

710: 名無しさん@1周年
>>704
機体後部は引きちぎれて山一つ越えて山の斜面を滑り落ちて谷の下の方にあって
生存者はいたんだよな。生存者がいた付近の遺体は損傷が少なく数百メートル離れた
焼けた痛いがあった場所とは違って焼けた遺体もなかった。
ただ、谷底にあったのでヘリが降りられずにヘリに乗せる為に
生存者を山頂まで運び上げたんだよな。

 

128: 名無しさん@1周年
あの頃のフォーカス フライデーはえげつなく写真載せてたな
まー、買ったけど

 

3: 名無しさん@1周年
123便の季節か
そうか

 

参照:asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1533967762/

(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)

やっぱり何かの陰謀が働いたのか。

タダの事故だったらもっと助かった人がいた可能性ある?

 

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