【節子の話題】オマーン副首相、王族ゆかりの地である兵庫のブサイナ王女(日本名は節子)の母を墓参り:線香をあげる [10/25]
・オマーン副首相がブサイナ王女の母を墓参り(兵庫)
天皇陛下が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」に出席するため来日した、中東・オマーンのアスアド副首相兼国王特別代理らが25日、王族ゆかりの地である兵庫県稲美町を訪問した。元国王夫人で、神戸でブサイナ王女を産んだ清子・アルサイド(旧姓大山)さんの墓に、同国関係者約10人が花を供えた。約40年前には同王女が来町しており、今回は副首相らが墓参りした。
清子さんは1935(昭和10)年、カブース現国王の祖父であるタイムール元国王と神戸で出会った。恋に落ちた2人は翌年結婚式を挙げ、ブサイナ王女(日本名は節子)が誕生したが、39(昭和14)年に清子さんが病没。元国王は清子さんの母の出身地である稲美町に墓を建て、王女を連れて日本を離れた。王女はオマーンで王族の一員として育てられたという。
この日午後12時半ごろ、アスアド副首相らが、古谷博町長らと同町中村の大沢公園墓地を訪れた。ハンチング帽姿のアスアド副首相は、清子さんの親戚で墓の世話を続ける同町の杉本浜子さん(74)とともに、線香をあげるなどした。
帰り際に、別れを惜しんで同副首相と抱擁した杉本さんは「遠くからわざわざ来てもらい、うれしかった。お墓に『清子さん、良かったね』と心の中で呼び掛けた」。約40年前にはブサイナ王女とも会っており、「(当時)『もう一度来たい』と言われ、再会を待ち望んでいたが、かなわないのは残念」と語った。
オマーン国大使館(東京)によると、ブサイナ王女は同国で健在。次期国王候補の一人とみられているアスアド副首相は現国王のいとこで、王女のおいに当たる。(切貫滋巨)
10/25(金) 23:28 神戸新聞NEXT
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191025-00000028-kobenext-l28
ローマの休日みたいな話だよな
【オマーン副首相】王族ゆかりの地である兵庫のブサイナ王女(日本名は節子)の母を墓参り:線香をあげる [10/25]
ブサイナ」は、アラビア語で「美しい」という意味を持つ一般的な女性名である
_ノ乙(、ン、)ノ ここ注意ね
日本語では醜いななのに面白いね
タイ語で「キレイ」は醜いの意味
まあ世界各国色々ある
逆に何語だと思ってたん?
オレもタンカー騒ぎの前は南米とかアフリカだと思ってた
オマーン語にゃ
「何でオマーン?」って反応が多かった
ホルムズ海峡にも面していて、イラン領海と海峡を分けている。
ペルシャ湾とインド洋へのコンテナ積出港もあり、重要な位置にある。
無論、産油国でもある。
日本への原油タンカーはオマーン領海を通ってホルムズ海峡を
抜けるので生命線とも言える国。
オマーンは一夫多妻なの?
元国王は国王の座を捨てて日本でずっと暮らす覚悟で
節子さんと結婚した。
しかし節子さんが数年で亡くなってしまったので、
幼い娘を連れてオマーンに帰ったみたい。
数年前、某番組で放送していた。
繰り返すが、昭和10年やぞ
大恋愛だわ
いっや何それ映画みたい!
>>58
王位を捨てたのではなく退いた後に知り合っとる
>2人の出会いは1935(昭和10)年の神戸。
>王位を退き、アジアをめぐる船旅に出ていた当時48歳の元国王は、
>19歳の清子とダンスホールで知り合い、恋に落ちた
>>96
>元国王は翌年再来日し、結婚と日本移住を決意。
>2人は神戸市内の洋館で暮らしはじめ、女の子が生まれた。
>それがブサイナ王女だ。
だが3年後清子がなくなり、元国王は国に帰った
住んでいて、なんて設定があって、昔のドラマは変わったことを考えるんだなあと思ったけど、
実際にこういうことがあったんだね。
この清子と言う人やデビ夫人、日本の昔の女はすごかった。
最近では、小野ヨウコかな。
1935年、神戸のダンスホールで当時19歳だった大山清子と知り合った49歳の前オマーン国王タイムール・ビン・ファイサルは、日本への永住を決意して翌1936年に再び日本に渡航し、清子と結婚する。
2人は神戸市葺合区中尾町の邸宅に住み、1937年にブサイナ(日本名:節子)が誕生する。
タイムールと清子は円満な生活を送っていたが、やがて清子は結核に罹患する。
清子は入院中の病院からたびたび抜け出したため、タイムールは自身やブサイナにうつることを恐れてブサイナを清子の母親に預け、自身はボンベイに移った。1939年11月に清子は病死する。1940年5月に日本に戻ったタイムールは、
清子の墓を建てた後にブサイナを連れて日本を出国した。
オマーン移住後1940年に日本を離れてしばらくカラチに滞在した後、マスカットに移り、タイムールの第一夫人で国王サイード・ビン・タイムールの母の元に預けられた。父であるタイムールは、日本を離れた以上、完全なオマーン人として育てるという方針をとったため、日本の影響は断ち切られた。
さらに異母兄のサイードは、ブサイナを王宮に軟禁した。
1970年、サイードが息子カーブースの起こした宮廷クーデターにより退位し、カーブースが即位すると
軟禁が解かれ、1978年には母親の墓参りに日本を訪れた。
画像参照
有名だよね。日本人女性とオマーン国王にラブロマンス。ハーフの娘は王女として
オマーンに在住。TVの取材番組で見た。戦前の話だがロマンチックだね。
その縁で東日本大震災の時、台湾と同じに義援金をたくさん日本に寄付した。
イスラム諸国の国々も仲間をたくさん作ったほうがいい。
アルジャジーラのシリア人特派員なんか、日本語ペラペラで趣味は日本の寺と神社回りで
赤穂浪士の墓とかTBS-BS「外国人特派員は見た」で紹介していた。
イスラム原理主義は最近の話。
スペインが異端審問でユダヤ教やイスラム教を迫害していた中世の時代は
オスマントルコ帝国は、民族の自治を認めて、イスラム教・ゾロアスター教・ヒンズー教
ユダヤ教・カトリック・プロティスタント・ギリシャ正教の信仰を自由に認めていた。
イスタンブールには教会もあったイスラムは寛容だった。
地方ではかなり注目された
極東アジア人自体珍しいみたい
中国人観光客も居なかった
さらっと凄い事いうなぁ
面白い旅みたい
オマーンの首都はマスカットというのだが、
マスカット・オブ・アレキサンドリアが国内で最初に植えられたのも
官営葡萄園があった稲美町とのこと
ブドウのマスカットという名前は、マスクメロンのマスクと同じく
麝香(ジャコウ)に由来するから、オマーン首都名とは全然関係ないけどな^^;
ヨーロッパの小国の王族だったか貴族と結婚した婆もいるよね
昔テレビで見たよエリザベス女王からもパーティー招待される人
オーストリア貴族と結婚をして
子供をたくさん産んだ
香水のみつこ EUの提唱者
昔は東アフリカのザンジバルまでの海洋帝国を
築いていた時代もあったよね、日本では家光の頃か
さらに大昔はこの地は紀元前3000年頃にはシュメールとも貿易してたし
歴史は古い
元スレ:egg.5ch.net/test/read.cgi/news5plus/1572160627/
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