【歴史の話題】徳川家康はうんこを漏らして逃げた! 東大教授がドヤ顔で監修するけど、わりとみんな知ってるwww。

【歴史】徳川家康はうんこを漏らして逃げた! 東大教授が教える偉人たちの「表」と「裏」の顔

1: 砂漠のマスカレード ★

日本の運命を変えるような偉業を成し遂げてきた歴史上の偉人たちは、完全無欠な完璧人間のように見える。
しかし、私たちが知っている彼らの姿はあくまでも表の顔にすぎず、偉人たちにも人間味溢れる部分がある。
そう思わせてくれるのが『東大教授がおしえる やばい日本史』(本郷和人:監修、和田ラヂヲ:イラスト、横山了一:マンガ、滝乃みわこ:執筆/ダイヤモンド社)だ。
本書には卑弥呼や聖徳太子、織田信長などといった誰もが知っているような偉人たちのヤバいエピソードが取り上げられている。
偉人たちの本性や裏の顔を知れば、今までとは違った視点で歴史を楽しめるようにもなるはずだ。

■武田信玄は家臣にラブレターで猛アタック
「甲斐の虎」とも呼ばれた武田信玄は戦国時代最強の軍隊を作り、領土を広げていった有名な武将。
ライバルであった上杉謙信とは10回以上にわたり戦を交えたり、織田信長を止めるために「三方ヶ原の戦い」で徳川家康と対決したりした信玄は数多くの作品で男らしく描かれることが多い人物である。
しかし、そんな信玄には片思い相手に熱い想いを伝えるピュアさもあったのだ。

信玄が活躍した戦国時代は男性同士の恋愛がかっこいいとされており、織田信長や伊達政宗たちにも同性の恋人がいたのだそう。
そんな中、信玄は春日源助という家臣に恋をし、ラブレターで猛アタックをし続けた。
信玄は源助からつれない態度を取られ続けていたが、力で相手の気持ちをねじふせたり、恋を諦めたりすることはなかったという。
こうした信玄のエピソードからは、彼の人柄が伝わってくるようにも感じる。

なお、信玄は弥七郎という他の少年にもこっそりとアタックをしていたことが源助にバレそうになると愛をしたためた、いいわけの手紙を送ったりもしたのだそう。
偉業を成し遂げた信玄の意外な恋愛を知ると、“武田信玄”という人物がより身近に感じられてくる。
偉人だってひとりの人間。そう思わせてくれる魅力が本書にはあるのだ。

■うんこを漏らして戦から逃げ帰った徳川家康
源助へストレートな愛情表現を行っていた熱い男・武田信玄と戦う羽目になった徳川家康は天下統一を成し遂げた偉人である。
しかし、そんな彼にはうんこを漏らして戦から逃げ帰ったという、残念なエピソードもあったのだそう。

その戦いこそが、信玄が活躍した「三方ヶ原の戦い」だ。
家臣たちが自分の身代わりとなり目の前で次々と倒されていく光景を目の当たりにした家康はなんと、うんこを漏らしながら浜松城へ逃げ帰ってしまったのだそう。

そんな逃げっぷりと汚れたパンツを見て城にいた家臣は「なんと情けない」と憂いたそうだが、家康は「これはクソではなく、腰につけていたミソだ」と、驚きの反論をしたのだという。
苦し紛れの言い訳をする家康は「たぬきオヤジ」と呼ばれるほど心の底を見せない人物だったが、こうしたユニークな事実があったことを知ると、なぜだか憎めなくもなってしまう。

なお、家康はこの経験をバネにするため、うんこを漏らした状態の情けない姿と変なポーズをした肖像画をあえて残させたそう。
そして、その後は家臣たちに「ふんどしは白ではなく、黄色のほうが汚れが目立たない」というアドバイスも行っていったのだ。

恥ずかしい体験はあえて心の中にしまいこまず、人にさらすことで自分の糧にする。
そんな裏の顔があったからこそ、家康は歴史上にしっかりと名を残せるような偉人になれたのかもしれない。

教科書に載っているほどの偉人たちも私たちと同じようにひとりの人間であり、残念な一面やヤバいエピソードを持っている。
本書を読めば、自分の推し偉人も見つかるはず。「歴史は難しい…」と思い込んでいる方こそ、ぜひ爆笑しながら偉人達のありえない裏の顔に触れてみてほしい。

http://news.livedoor.com/article/detail/15180259/
2018年8月19日 18時0分 ダ・ヴィンチニュース

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/6/6/664c1_1235_3f8fbdca_6b13039e.jpg

341: 名無しさん@1周年
峠の茶屋で無銭飲食し(途中武田の兵が負ってきたので逃げた)
茶屋のおばちゃんに追っかけられたってエピソードとセット

 

342: 名無しさん@1周年

小豆餅…家康が武田軍から逃げ帰りながら小豆餅を食べたが、武田軍に追われ代金を支払わずに逃走
銭取…小豆餅屋の婆が馬で逃げる家康を走って捕まえて小豆餅の代金を取り立てた

小豆餅は現在も地名として残るが、銭取はバス停の名前に残るのみ

また、家康がさらに武田軍に追われて糞を漏らしたという話についても
下垂という地名になっていたが、これは住民が嫌がったために改変された

小豆餅銭取の逸話は後年の創作であり実話ではないという説もあるけれど
(合戦の亡霊を鎮めるために小豆餅を備えた説)

 

270: 名無しさん@1周年
有名な話だけど
知らない人居るの?

 

287: 名無しさん@1周年
>>270
まぁ二人に一人程度は知ってる話だな。

 

293: 名無しさん@1周年
>>270
戦国時代に興味ない人は知らんだろう
国民の大半は知らない

 

47: 名無しさん@1周年
>>1
知ってた。奴がえらいところはウンコ漏らしたのを隠さずあえてその姿を絵師に描かせて後の戒めにしたこと。

 

294: 名無しさん@1周年
>>1
こちらの肖像画は、そんなクソを漏らした家康が
当時の悔しさを忘れないために、あえて描かせたものだとか・・・。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/A/Arufa/20150927/20150927154003.jpg

 

355: 名無しさん@1周年

>>293
2017/09/19 – 『おんな城主 直虎』 37話「武田が来たりて火を放つ」

放屁のSE、焼き味噌ジョーク、しかみ像ポージング、「家康は脱糞をするほどの、大敗北を喫したのじゃ」というキレキレのナレーション


https://pbs.twimg.com/media/DJ7Dkq1UMAA91H3.jpg

逆になんでこんなことを今さらドヤ顔で言っているのかと>>1は 脱糞しろ

 

3: 名無しさん@1周年
証拠あんの?

 

17: 名無しさん@1周年
>>3
その時の肖像画

 

65: 名無しさん@1周年

>>17
それはただの半跏思惟(もの思いにふける、弥勒菩薩の像によく見られる)の姿ではないか

と言われている

この絵については、「東照宮尊影」という史料に、「家康像である」としか書かれてなくて

三方原での、脱糞うんこお漏らしうんぬん、の記載は一切ない

明治政府によって

目録の中でつけられたタイトルが「長篠合戦後の家康」

1910年につけられた副題が「長篠の合戦で敗戦したときの像」

根拠がないので適当につけられた

三原の戦い後の家康像である、という史料はどこにもない

 

8: 名無しさん@1周年
有名な話すぎて今更感が

 

33: 名無しさん@1周年
東大の本郷和人先生は
・信長は天下統一を目指していなかった
・山本勘助は軍師ではなかった
という説も唱えてるよね

 

129: 名無しさん@1周年
>>33
信長が天下目指してないって
目指さないんだったら尾張美濃で十分大大名として生きていけるから
上洛なんてしないと思うんだが
包囲網仕掛けられて何度も死ぬようなピンチにあうし

 

44: 名無しさん@1周年
滝田栄の徳川家康ではそのシーンがあった
葵三代には無かった

 

153: 名無しさん@1周年
>>44
長門裕之が「味噌じゃ味噌じゃあw」
で、滝田栄がバツ悪そうにするシーンな。

 

196: 名無しさん@1周年
>>153
良く覚えてるなあ

 

53: 名無しさん@1周年
wikipediaに書いてるようなことを偉そうにいわれてもな

 

86: 名無しさん@1周年
文字の大きさに騙されたが(自業自得)記事の引用見たら
実際は滝乃みわこという人が書いた文章や他の人が書いた漫画を
本郷和人という人が慣習しただけか

 

169: 名無しさん@1周年
>>86
古本屋で十分そうだね

 

231: 名無しさん@1周年
昔から有名な話だろ。

 

264: 名無しさん@1周年
どっかから持ってきたようなどうでもいい寄せ集め情報で面白くない

 

274: 名無しさん@1周年
うんこは有名だがパンツ履いてたのは初めて知った!

参照:https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534721227/

(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)

高校の日本史の先生が言ってたようなwww。

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