【救いのない話題】彡(;)(;)「オカンを殺して俺も死ぬわ」
岡山県内の河川敷で昨年8月、56歳の男性が、末期がんを患う83歳の母親の首を絞めて殺害する事件があった。
男性はコロナ禍で仕事を失い、1人で母親を介護していた。
孤立を深める中、母親は死を望み続け、最期に「ありがとう」と口にしたという。3月に嘱託殺人罪などで執行猶予付き有罪判決を受けた男性は「どうすればよかったのか」と今も自問し続けている。(上万俊弥)
2人暮らし
岡山地裁の判決によると、男性は昨年8月23日未明、同県和気町の河川敷で、母親から頼まれ、首をひもで絞めて殺害し、遺体を放置した。
3月15日に懲役3年、執行猶予5年を言い渡された後、岡山市の更生支援団体のサポートを受けて暮らす男性が取材に応じ、その日までに起きたことを語った。
男性は高校卒業後、県内の工場に就職したが、25歳の頃に交通事故に遭い、重い物を持てなくなり、退職。その後、職を転々とするようになったという。
結婚し、子どももいたが、40歳前に離婚。実家で両親とともに全盲の兄の世話をしていたが、数年前に父親と兄が相次いで亡くなり、母親と2人暮らしになった。
そうした中、2020年、コロナ禍が襲った。
当時、自動車工場の新車を運ぶ仕事をしていたが、生産台数の減少で職を失った。追い打ちをかけるように、母親に乳がんが見つかった。
治療費がかさんで生活が苦しくなり、自宅を売った。仕事を探したが、50歳代の年齢がネックになってなかなか見つからず、21年2月、生活保護を受給。ほどなく母親のがんが肝臓に転移した。
思い出語り合い
病状が進行するにつれ、母親は「迷惑をかける前に殺して」と口にするようになった。母親は兄の世話で苦労し、同じ思いをさせたくないと考えていたという。
男性は通院に付き添い、生活の世話をしながら「そんなこと言うな」と励ました。しかし、コロナ禍で周囲との交流もなくなる中、自身も追い詰められた。
「おかんを殺して、俺も死ぬわ」
「そうか、悪いな」
21年8月22日夕、電車で現場の河川敷に向かった。「子どもの頃、毎年大阪まで花火を見に行ったなあ」。橋の下に座り、日付が変わるまで思い出を語り合った。
翌23日午前2時頃、男性は母親が自宅から持ってきたひもを母親の首に巻いたが、手が震えて2度失敗した。
「何度も心の中で『ごめんな』って謝りながら、おかんの首を絞めた」。母親が眠るように息を引き取った後、夜が明けるまで寄り添った。
翌日、死に場所を探してさまよっていたところ、警察官に身柄を確保された。
「最後の願い」
判決では、執行猶予とした理由について「将来の見通しが立たず、他者との交流に乏しい中、母親の自殺願望の影響を受けやすい状況だった」とした。
男性は取材に「殺したくなかった。でも、助けてくれる人がおらず、おかんの最後の願いを聞いてあげたいとしか考えられなくなった」と涙を流しながら話し、「自分は生きていていいのか」と何度も口にした。
男性の更生や就労を支援する団体の社会福祉士は「孤立が男性を追い詰めた。周囲に助けを求められれば、結果は違ったのではないか」と話し、「男性が『生きていいんだ』と思えるよう、支援していきたい」と話した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220415-OYT1T50076/amp/
「そうか、悪いな」
21年8月22日夕、電車で現場の河川敷に向かった。「子どもの頃、毎年大阪まで花火を見に行ったなあ」。橋の下に座り、日付が変わるまで思い出を語り合った。
翌23日午前2時頃、男性は母親が自宅から持ってきたひもを母親の首に巻いたが、手が震えて2度失敗した。
「何度も心の中で『ごめんな』って謝りながら、おかんの首を絞めた」。母親が眠るように息を引き取った後、夜が明けるまで寄り添った。
彡(;)(;)「オカンを殺して俺も死ぬわ」
更新されとるやん
うちは家族仲悪いから死んでも喜びの感情以外出てこないと思うわ
どうせまともな支援なんてしねぇしできねぇんだから
とことん運が悪い
ワイも一緒やで😵
こういうのって、社会の責任じゃないの?
なんで社会は裁かれないの?
ワイもお前もその社会に生かされとるからや
ワイら自身が変えるしかない
京都市伏見区で、10年近く前から認知症を患う母親(当時86歳)を1人で介護していた男性(当時54歳)が、介護で生活苦に陥り、母の首を絞めて殺害。自分も包丁で首を切り、自殺を図ったが発見され一命を取り留めた。
片桐康晴被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もうお金ないやろ、もう生きられへんのやで。ここで終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、おまえと一緒やで」と答えた。
片桐被告が 「すまんな、すまんな」と泣きながら謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。
母の首を絞めて殺し、 自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、 眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「介護に疲れたことはあったが、嫌になることはなかった。むしろ楽しかった」
「もし生まれ変われるのであれば
もう一度母の子に生まれたい」
という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるよう
裁判の後、滋賀県に転居し1人暮らしを始め、木材加工会社で働いていたが、2013年に会社をクビになったと親族に伝えたきり音信不通となった。親族が警察に行方不明者届を出したが、2014年8月1日に遺体で見つかった。
そうかあかんかも結局自死してるんだよなぁ…
外国ならもっとマシな末路だったとも言い切れんけどな
親を看取った十数年後、旦那も看取ってようやく落ち着いた暮らしができるかと思った矢先、
娘が脳溢血で寝たきりになって今も介護を続けてるって人がいる
いつ見ても顔に死相が出ててほんまに気の毒でしゃーない
呪われた血筋ってあるんやな
ガースー「まずは自助」
滅びるべき悪は人類やろ
ヒトという生物の存在そのものが悪や
キッツイわ追い詰められてバッドエンド
それもあるやろが金なくて終末医療受けられないと末期がんとか死ぬほどの苦痛と激痛に
苛まれ続けなあかんからそういうのもあったんちゃうか
イッヌもやけど正直寝たきりになってくれる方が助かるわ
西岡すみこ
・父81・・・アル中
・母80・・・認知症
・姉47・・・ダウン症
明るく生きてます!
本人があんな格好して叫んでたの誰も認識できてないんか
190cmあったから周りの負担が大きかったここだけ高身長の不利益やろうかな
そら衰退するわ
政治があかんのか?
元スレ:tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1650020849/
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